奥野湖晴 Umiharu Okuno
ジャズピアニスト
大学卒業後、関西で演奏活動を開始。奨学金を得てバークリー音楽大学へ留学。
ダニーロ・ペレス、ジョアンヌ・ブラッキーン、ハル・クルックなど多数のミュージシャンに師事。
ボストンのジャズシーンで演奏活動を行う
卒業後、ニューヨークのジャズシーンで演奏活動を行う。
帰国後、自己のトリオを率いて関西で演奏活動を行うかたわら、ジャズピアノ教室を設立し後進の指導にも注力している。
2017年、奥野湖晴ジャズピアノ教室をオープン。
どうしてこんなに下手なんだろう?
バークリー音楽大学在学中から卒業して半年くらいまで、3年間ほどボストンで活動していましたが、ステップアップしたい気持ちもあり、ジャズの本場ニューヨークに移りました。
ニューヨークのジャズシーンはボストンの何倍もレベルが高く、どこに行っても上手い人がゴロゴロいました。
例えばジャムセッションでは、地方やヨーロッパでトップレベルのプロミュージシャンが集まっていたり、ホストは18歳にして歴史を全て網羅しているエリートや、ワールドクラスのツアーミュージシャンが務めていたり、といったレベルです。
ミュージシャンたちは表面上フレンドリーですが、心の中の査定はかなりシビアで、空気の読めないアマチュアミュージシャンなど到底お呼びではなく、瞬殺でした。
私も例に漏れず、何度も自分の演奏レベルの低さを実感させられました。
帰り道に半泣きになってしまうこともありました。
「自分はなんでこんなに下手なんだろう。知識はそんなに変わらないはずなのに、どうしてここまで演奏の違いが生まれるのだろうか」とよく考えていました。
上手くないと一切お声がかからない、相手をするだけ時間の無駄、存在価値がない、というような世界で追い立てられたような気持ちになり、自宅のカシオのエレピで、一日中、コピーしたり、メトロノームと格闘したりと、バークリー時代よりもたくさん練習をする日々を送っていました。
そうこうしながらも、ニューヨークはジャズの需要が高い町なので、色んなライブを見に行ったり、好きなピアニストからレッスンを受けたりしながら、ジャムセッションなどで出会った人たちと一緒に仕事させていただいたりできるようになりました。
人々に愛されるニューヨークジャズ
しばらく経ってわかったことは、ニューヨークのジャズは歴史のお勉強やその再現ではなく、現在進行形の芸術音楽であるということでした。
ニューヨークのジャズミュージシャンは、伝統的なボキャブラリーや素晴らしいテクニックを持っているだけでなく、一人ひとりが自分だけのスタイルを追求し、スタンダードやオリジナルを自分のためだけにアレンジし、自分の音楽として発表していました。
私はそんなミュージシャンたちの自分だけの音楽を追求する姿に感銘を受け、その音楽にインスピレーションを得ていたのだなと気付きました。
ノンミュージシャンである観客もまた、そのような高度に洗練されたニューヨークのジャズを聴くことが大好きでした。
最終的に私は、それぞれのミュージシャンが個々のオリジナリティを突き詰めて表現できた部分こそが、聞く人を感動させるのではないかと思うようになりました。
教室を始めたきっかけ
帰国後の日本のジャズシーンは、留学する前とは全く違って見えてきました。
テクニックや知識は停滞しており、スタイルは画一的で、共通のジャズ理論に基づいて、共通のジャズを目指しているような印象を受けました。
その結果、逆に不自然な音楽になってしまっているように感じました。
ジャズは、“イイ感じのカフェミュージック”や“歴史のお勉強”になってしまっており、ノンミュージシャンの人々から人気のない理由がわかるよう気がしました。
国や、トラディショナル、コンテンポラリーといった演奏スタイルに関わらず、ジャズは人を感動させ、愛されるはずなのにと残念に思いました。
そこで私は、『それなら自分が、ジャズの本場で培った経験や考え方、ミュージシャンシップを生かして、微力でも日本全国のジャズシーンに貢献するためにレッスンをしよう。』と思い立ち、教室を始めました。
当教室は、様々な悩みを抱え、日々の生活に追われながらも、ジャズピアノを勉強している方の負担をできるだけ楽にし、テクニックや知識を高め、それぞれの生徒にニューヨークのジャズミュージシャンのように自分の個性を追求し、本当に演奏したい音楽を自由に演奏できるようになって欲しいと考えています。
そしてその生徒の演奏が、聞く人に何かインスピレーションを与え、喜ばれるようになって欲しいと願っています。
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